哲学カフェシーズン2の丹波市編では、冒頭にどなたか一人から発表をいただいて、それをきかっけに議論を進めるというスタイルをとっています。
先日の「肌触り」編では、皮膚科医でもある里先生から、冒頭プレゼンテーションをいただきました。ご本人の許諾を得て、その原稿を公開いたします。
肌触り
皮膚は、表面から表皮、真皮、皮下組織に分かれ、総重量3キロの最大の臓器です。
表皮は、表皮細胞が28日かけて老化現象(角化といいます。)を示し、最後には、表層に死滅した形で残り、“あか”となって、脱落します。脱落する直前の死滅した層のことを角質層といい、死滅した細胞の周辺にその細胞から漏れ出てきた物質で満たされて保湿層を形成します。これが、表面の肌触りを決定します。
次の層である真皮には、神経、血管が流れており、遠方からの栄養や、情報を伝える役目をしています。
また、もっとも深い部分の脂肪層は、クッションの役目をしていて、これもまた、深部での肌触りの要素でもあります。
肌を触る側としての要因として、感覚器も皮膚に存在します。圧、温度、痛覚、触覚を感じる受容器といわれるものがあり、それが最終的に脳につながっていきます。
それだけでなく、皮膚には、毛が生えていて、毛の周囲にも神経が多数巻き付いていて、毛にふれることで、接触しかかったものを感じることすらできるのである。
手当て
マッサージは、皮膚の血流を良くし、リンパの滞りをなくすことによる健康法ですが、実際に手で(肌がふれあうこと)でもんでもらった方が効果がある様である。
私的には、診療時には、必ず患者さんの病気の場所にふれるようにしています。
そうすることによって、気持ちが通じて、安心して治療を受けてもらえるようになると思っているからです。
世間の肌触り
伊集院 静の著書に「世間の肌触り」という言葉があります。
『世の中の肌触りを覚えるには、理不尽とであうのがいい。ひとつひとつを乗り越えていけば、笑い話にさえなる。』
世間の肌触りを良いとかじるか、悪いと感じるかは、受け手側の心の問題だと思っています。これまで、この肌触りをよくしたいと思い続けて来ました。でも、周りは変わってくれない。周りばかり気になっていました。周りを理不尽と感じ、理不尽を嘆き、理不尽に逆らっていて、肌触りが良くなるでしょうか。伊集院さんがいう「乗り越えること」っていうのは、どういうことなのでしょう。なかなかできません。
(里博文)
みなさんはいかがお考えでしょうか。さまざまな場で、議論いただければ嬉しいです。