9月16日(土)、神戸会場での開会は、フォーラム実行委員副委員長の小田晋作氏の挨拶から始まりました。
小田さんは、兵庫丹波地域の地元情報にかけては並ぶもののないローカル新聞『丹波新聞』の社主。1924年創刊の老舗です。近年の「田舎暮らし」への注目度の高まりを背景に、実行委員会としても、身近な情報の発信に努めたいと決意を述べられました。
神戸会場は大阪を上回る200人近い人出で、熱気あふれました。同じ兵庫県内ということもあるのでしょうか、みなさん関心は高い様子です。
パネラーは、兵庫丹波地域での田舎暮らし実践者6名です。
平野智照氏
1948年、千葉県生まれ。出版企画編集・広告制作を主業務とする「あうん社」を設立し、フリーライターとしても活躍。2004年に丹波市に移住。田舎暮らしの助走期間としての「田舎遊び」と、「田舎暮らし」の違いを明確にしつつ、体力のあるうちに始めるべきとアドバイスされていました。
野口秀一氏
1965年生まれ。1994年に丹波市に移住。製材所に10年あまり勤務した後、木材コーディネートと建築設計の「有限会社ウッズ」を設立。丹波の木材を利用して家を建てる、地域貢献を意識した業務をされています。双子を含む五児の親。里山オーナー制度などを利用して地域の人と交流する楽しさを紹介されていました。
山川彩絵氏
1971年生まれ。大学院卒業と同時に氷上郡酪農農業協同組合(現:兵庫丹但酪農農業協同組合)に就職し、丹波市に移住。開発に携わった「のんじゃえ丹波」の試飲をしていただきつつ、地域の方と交わりつつ仕事をする楽しさ、家探しの苦労などについて話されていました。
大阪会場では坂口典和氏(1968年生まれ、大学卒業後篠山市に移住し、「のり・たま農園」の看板を掲げて専業農業に挑戦中)がパネリストとして参加し、農業の楽しさや苦労を話されたのですが、農繁期とあって、今回は山川氏にバトンタッチ。農家を「プロデュース」する立場からの話となりました。
山崎春人氏
1952年生まれ。ファミリーアウトドアクラブ「マリオクラブ」主宰。その拠点の意味もあってさまざまに土地を探した中から、2002年、理想の里山である丹波市に移住。聖和大学講師などの傍ら、森林インストラクター、野遊び研究家として地域内での活動もされています。兵庫丹波地域の自然の楽しさを語りつつ、農地を宅地に転用する場合の注意事項など、具体的なアドバイスも飛び出しました。
小橋昭彦(投稿者)
1965年生まれ。執筆業の傍ら、まちおこしNPO法人を運営。パネリストの中では唯一のUターン組であることから、地域行事の実際など、地域の側のホンネを紹介しました。やはり、腰掛気分ではなく、自治会には加入するなど、本気で地域と交わることで、ずいぶん暮らしやすくなることを指摘させていただきました。
伊藤岱玲氏
1970年生まれ。丹波市内で古民家を購入、作陶家としての仕事場は篠山に持っていることから、社団法人篠山青年会議所の理事としても奮闘中。地元の行事予定表を公開して、どのくらい地域に拘束されるのかという実際を紹介、また古民家で暮らすときの工夫など、具体事例を紹介されていました。
会場からも熱心な質問が飛び出しました。アンケートの結果によると、ほぼ半数の方々が「すぐにでも実現したい」派でした。それだけに、物件探しのヒントなど、質問も具体的。当日配布したパンフレットに掲載されている不動産業者情報など、お役立ていただければと思います。
パネリストからは、体力のあるうちにスタートして、あせらずじっくり地域を見て回ることが大切、そのうち「ふっと風がふくように」ぴんとくる土地に出会える、との声がありました。また、交流イベントなどに積極的に参加して、「田舎遊び」を通してプチ田舎体験をしておくと予行演習になってよい、というアドバイスもありました。
会場では、兵庫県や篠山市役所、丹波市役所の方も見かけました。こちらは丹波市の市長さん。いわゆる挨拶だけじゃなく、お客さんと一緒に、最後まで熱心に参加。行政としても、田舎暮らし希望者をしっかりサポートしていきたいとの言葉もありました。
田舎暮らしフォーラム実行委員会としても、今後ともこうして田舎暮らしを考えていらっしゃる方のための「入口」をご提供していきたいと考えています。